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2025年 年が明けてNHK大河ドラマ「べらぼう」が始まりました。

   実は私は平安文学の大ファンであります。 昨年の大河ドラマ「光る君へ」が終わってしまって、なんだか落ち着かない心持ちでして・・・。 大河ドラマお得意の戦後期時代を飛び越えてからの江戸文化が花開いた物語 今年の大河ドラマは江戸時代が舞台だ。 昨年も言われましたが合戦のない物語って楽しいのかってね。 確かに平安時代だから合戦は無かったですが、 陰謀と裏切りが渦巻く時代だったようです。 今回も合戦は無いと思われます。  江戸時代を扱った物語は、それこそ現代物と遜色が無いほど 多くあります。小説となると私は山本一力さんとか朝井まかてさんの 小説が大好きだ。あとは畠中恵さんの「しゃばけ」シリーズも 江戸ものと呼べないことも無い。  さて、私も下手くそながら超短編ながら小説を書いたことがある。 まずは大好きな平安ものとはいかず。なにしろ登場人物に 台詞を喋らせることも出来ない。 「光る君は」では父親のことを「父上」と呼んでいたが はたしてそれは平安時代の正しい言葉だったのかと思うと 全く書くことが出来なくなってしまったのだ。 江戸時代ものならば、しかも舞台が江戸の街中なら 水戸黄門や大岡越前の時代劇の知識は少しはあるので何とか書けるかもと思った。 江戸らしさを出す小道具に地名の羅列だったり、 大きい川にかかる橋のたもとにある火の見櫓などを登場させる「江戸」っぽくなる。 町人の暮らしに欠かせない食べ物で「蕎麦」がある。 物語に登場させると途端にそれっぽく見えるから不思議だ。 「おい、おめえ定吉だろ。俺だよ俺」 「おう、珍しいじゃねぇか三郎か」  幼なじみの二人が江戸の街中でばったり会った 「五年ぶりくれえか、最後にあったのは親父の葬式だ」 「それからどうした、元気か、おめえ女房も貰わずに大工の仕事を続けてるっていうじゃねぇか」   定吉の仕事は大工だ。   ここのところ雨ばかりで実入りは少ないので街でばったりあった幼なじみに   酒でも奢らせようとと声をかけたのだ  「まさかおめえとこんなところで会うと思わねえじゃねぇか、どうだい一杯そこで」   そう言って近くの蕎麦屋を指さした。 この時代でも昼間から酒を飲むなとは言われないがそれなりに後ろめたいものである。  こういうときは蕎麦屋で飲むぶんには誰に遠慮もいらねえ。   江戸時代の酒のみは昼間から蕎麦屋で酒を飲むので...

文章を書くと言うこと、長文は読まれないって本当?

   新卒で働いた会社を辞めた頃から、文章を書くことに興味を持った。 いつかは文章でお金が稼げたらいいな、みたいな欲も出てきた。  まだ三十代のころ海外でボランティアをしていたときは月に一度の報告書とか、頻繁に届く手紙の返事を書いたり。また毎日のボランティア活動での日記も付けたりしていて、文章を書くことが普通の毎日だったのだ。  小説家にもあこがれて二日で原稿用紙100枚を書いたこともある。内容はともかくとしてそれだけの分量を書くとはどういうことか身にしみて解った。  現在は60歳を超えているが小説家にはなっていない。この年になれば色々なことがわかってくるもので、数百枚の原稿を書いたところで、それを人に読んで貰う事は難しい。noteに書けば数人の人は読んでくれるだろうけど。自分でもそうだけど、人の作品を全部読んでいないのに「スキ」をクリックすることもある。本当に自分の文章を読んで貰っている自信は無いのです。  老後というにはまだ若いのですが、仕事をしていないのでいくらでも文章を書く時間はあるのだけれど。最近はすっかりキーボードを叩かなくなってしまった。とは言ってもブログを幾つか運営しているけど。  たまに見ていたユーチューブでホリエモンの動画が目にとまりまとめて視聴したりしている。  タイトルに引かれて彼の動画を見ていると驚くようなことを言っていた。「文章を読める人は人口の20%もいないんじゃないかと思う」 文字面をなぞるだけの文章を読むことはできる。だが文脈も行間も理解していない人がいることにホリエモン本人も驚いているようだ。  私も自分の身の回りの人でも「話の通じない人が半分も居る」と感じているところだったので、会話よりももっと難易度の高い文章を読む能力がない人、読解力が無いどころではなく、そういう人は「自分が文章を読めていないことにも気がついていない」とホリエモンは嘆いているのだ。  先に書いたように文章を書く仕事をしてみたいと思っていた自分なので、そうは思いたくなかったけれど、本当はずっと前からそういうことに自分も気がついていたんだと感じた。彼曰く「文章を読めない人って五行以上の文章を読めないんじゃないのか」とも。せいぜい旧ツイッターの文字数くらいなら何とか理解出来るかも。  ここまで書いて八百文字を少し超えている。原稿用紙3枚だ。 自分にとってはご...

NHK大河ドラマ「光る君へ」敦成親王の東宮就任は道長の思惑というか先を見越した最善策だったのか?

  先日、ドラマの解説本(完結編)を買った。 ドラマの先を知りたいわけではなくて 登場人物が余りにも多くてドラマに追いつかなくなってしまったからです。 現代物のドラマならそんなことはないのだけれど みな同じような衣装で、男は面長さんばかり、女は同じ髪型ばかりなので 見分けが出来ないし、役名も漢字がそのまま読めないので、仕方なく解説本のお世話になっている。  さて、新しい東宮に敦成親王に決まった。 父道長の意向が大きい。自分の孫が東宮、そしていずれ天皇になるのは 自分の権力を維持するために必要だったのだが 道長は妻の明子に常々言っていた 子供を権力争いに巻き込むなと(細かい言葉遣いまで記憶していない)らしき 事を言っていた。 もし敦康が東宮になっていたら後見の隆家と道長の権力争いが生じてしまう事を懸念していたのだろうか 隆家と道長が「権力争い」を望まなくても周りの思惑で政が歪められてしまうのは必至である ここは、道長を信じて敦成の東宮を受け入れようと思う。(私は)

NHK大河ドラマ「光る君へ」、最高の台詞はこれだと思った。

緊急投稿!  惟規と紫式部が二人でしみじみと話していた言葉。 何気ない言葉に脚本家さんの心の中が見えたような気がしました。 「・・・きっと、みんなうまくいくよ」 全ての人は心の中にこの言葉を胸に抱いて生きています。 決して口に出して言う言葉では無く 不安や心配につぶれそうなこころを、そっと癒やすために 誰もが心に秘めて、折に触れて思い出し 心の中で叫びあるいは呟き未来に向かい生きていけると 勇気を奮い立たせる言葉なのです。 そしてあなたも、私も、自分の内側に問いかけてみてください 「きっとうまくいくよ」と呟いたことがあるでしょう。 このような言葉を 惟規の口から語らせた脚本家さんに感謝します。

敦康親王の運命や如何に大河ドラマの「光る君へ」源氏物語と紫式部日記で予測する、ネタバレにはならない筈

前回の9月6日放送分 で 一条天皇と亡き中宮定子の息子の藤原敦康親王が藤壺で中宮彰子の膝に乗り戯れていた。 敦康親王は元服を済ませていない子供扱いなのでそんなことを許してもらえるのだが 道長から敦康親王を早く元服させようとしても一条天皇がそれを望まない事により 日取りが延期になったのだ。  これだけならどうということはないのだが、紫式部の書いた源氏物語には 光源氏の実父の桐壺帝の後妻の藤壺(これは名前ではなく宮中内の住んでいる部屋の名前)に 亡き母の面影を見る光源氏は継母と子供という関係を超えて、光源氏の度重なる求めに 最後は無理矢理になるのか、二人は契ってしまう。そのうえ子までなして、その子は 冷泉帝になるのである。  大河ドラマの進行と源氏物語に登場する藤壺の立場が、そっくり重なって見えていて 「光る君へ」ファンで「源氏物語」ファンでもある視聴者の心を弄ぶ様な演出に 前回の放送終了後に私たちは「これからどうなるの」とのたうちまわっているのである。  前回の放送の問題はこれだけではない。 紫式部の娘「賢子」は道長との娘である。道長はまだ気づいてないのであろうか。 紫式部は道長に「賢子の裳着(女子の成人式)のときに何かを下さい」みたいなことを 言った。それって品物ではなくて、もしかしたら賢子の腰紐を結う大役のことか? これは源氏物語の藤裏葉帖の有名な場面なんです。玉鬘の裳着の時に実の父親である頭中将にその大役を任せ、頭中将が実父だと伝えた場面。 贈り物なら、二人にしか解らない絵を描いた扇が贈られるのかしら、と思っている。 いずれにせよ前回の放送は物語の後半から終盤へと向かう大事な回だったのだ。

このうえない 掌編小説風

このうえない  (最上の、これ以上の○○はない)  子供の頃の話をしたい気持ちになった。   誕生日が2月でいわゆる早生まれと言うこともあって、 小学校に入学したときは身体も小さく、俺は朝礼の時はいつも一番前に並んでいた。 一年生の頃は、前の年の4月生まれの子と比べると約10ヶ月の年の差があるので 60歳を超えた今とは1歳の違いが顕著に現れるのもしかたない。  背が小さいだけではなく勉強や運動も遅れていると言ったら言い過ぎだけど 4月生まれの子から比べたら勉強する機会も運動のキャリアも10ヶ月の差があるのだ。  この差はおそらく小学校を卒業しても中学生の制服を着る頃まで埋まらない差なのだろう。  運動会でも走ったりすることは苦手で、玉入れや綱引きのように他の子に混じってする競技は大好きだったけれど、100メートル走などは、参加するのがとても嫌だった。 小学生の頃はマラソンはそれほど中距離ではなくせいぜい200メートルのグラウンドを10周するのが普通だろう。一年生の時は殆ど一生懸命に走らず一番ビリを悠々と走っていた。言い訳は「だって身体が小さいんだもん」で通っていた。  4年生の頃になると短距離走ではまだ体格差があるのでとても一位にはなれないのだが、長距離となるとそうでもない。持ち前のゆっくりと走る、でもじっくりと、そして確実にやり抜く自分の性格が功を奏したのか、化育の授業でマラソンをやって、クラスでトップになることが出来たのである。  嬉しくて、家に帰ると直ぐお母さんにそのことを話した。 お母さんは涙を流しながら嬉しそうに 「頑張ったんだね良かったねぇ」とその後の言葉は涙で出てこないようだった。 その夜、お父さんが帰ってくるまで俺は起きていられずに寝てしまった。  お母さんがお父さん話したのだろうか。翌朝、俺はそんなことを知らないからお父さんに昨日の子とを話した。嬉しい気分と夕べお父さんに話せなかったことが悔しくて、俺は顔をくしゃくしゃにして興奮しながら話をしたのだ。  「あのね、昨日マラソンでクラスで一番になったの、俺さ身体が小さいけど最初からトップを走って一度も誰にも抜かせなかったんだ。先生も途中から頑張れって、俺に向かって大声で叫んでたよ。嬉しくて手を振ったら、バカしっかり前を向いて走れだって、自分で俺に声を掛けたくせにさぁ、先生だって悪いん...

手だれ

  手だれ  (優れた腕前の持ち主)  まだ少年の面影を残し、美しい顔と芸事に秀でた16歳の光輝く男。 名前は光源氏と呼ばれる。本名は明らかにされていないが、その輝くばかりの美しさから「光る君」と「女君」から呼ばれ、いつしか「光る源氏」、すなわち「光源氏」と呼ばれるようになった。 光源氏は世間で言われているような女たらしではない。どちらかというと奥手で口数も少ない。子供の頃は若くして亡くなった母親を求め、夜、夜具に入るとシクシクと泣いた。父親はそんな光源氏を心配して、後妻を迎える決心をした。 表向きは光源氏のためという口実で後添えを迎えたが、実際には自分のためであった。しかも、妻となる女君は前妻と瓜二つの若い女性であり、歳も光源氏と四つしか離れていない。 幼い頃から母のいない光源氏が、まだ若い継母に恋をするのは避けられないことだったのかもしれない。光源氏は口実を作っては継母の部屋に出入りし、甘えるのである。継母の方も、自分とそれほど歳の離れていない光源氏の来訪を嫌がることもなかった。 光源氏が18歳になったころ、継母の部屋に入り、突然涙を流した。継母が「如何されました」と問うても泣くばかりであった。 「光さまはもう18歳になられました。子供のように泣いてばかりでは可笑しいですわ」 継母も、光源氏が泣き虫であることは承知している。このまま帰すのも可哀そうだと思った。継母のお腹には夫との子を宿しているのだから、このまま光源氏と契っても、不自然なことは何もあるまい。そう考えた継母は、光源氏をその夜、自室に留めた。 その夜、光源氏は自分の部屋には帰らなかった。しばらくして、継母に子が生まれた。 「光さま、可愛い子ですわね」 そう言っただけなのに、光源氏は言葉も出ず、全てを飲み込み唸った。継母は光源氏を手中に収めたと確信した。夫にもしものことがあっても、自分の後見は盤石である。若くて美しい男君である光源氏は、継母の思いのままとなった。 源氏物語では、光源氏が桐壺帝の後妻である藤壺と浮気をするが、実は藤壺の方が一枚上手であったという物語である。

ろうたけた

  ろうたけた  (優美な、洗練された美しさ) 薄汚れたビルの間になにも敷かずそのまま座り、 父と母と男の子の家族が激しく口論していた。 父親はビルの壁に寄りかかりタバコをふかしている。 母親は髪の毛を掻きむしり、うんざりという顔をして父親に罵声を浴びせた。 「あんたね、そんなんだからお金が貰えないんだ。もっとしっかりとおやり」 妻は激しく夫を罵った。二人の間で寝ている子供は、 小さいながらも生意気に帽子を被り火の付いていない束を加えていた。 それもその筈、まだ10歳にも満たないほんの子供なのだ。 子供なのに背広と背中でクロスしたベルトの付いたズボンを履いているのは理由があった。 この家族は二週間に一度、街から街へ旅をする芸人一家なのだ。 街の真ん中に市が立ち、広場には多くの待ち人で賑わっていた。 広場の中央には噴水があり、その脇に陣取って軽業を見せていたのだが、 子供がとんぼ返りをして父が受け止めながら、後ろへよろよろと倒れる芝居が 上手くいかず、本当に後ろに倒れてしまい父は腰を強く打ってしまった。 その後の段取りが全部ダメになってしまったのだ。 「あんたがねえ、ちゃんとしないから、いい恥さらしだったじゃない。 あたしだって、続けて笑いを取ろうとしてあんたの尻を蹴ったら本気で痛がって まるで、あたしが一人で悪者になっちゃったじゃない」 「ごめんってさっきから言ってるじゃないか、許してくれよ」 父はそう言いながら痛む腰をさすっている。 「父ちゃんも母ちゃんもやめろよ」 ボクが大きくなって重かったんだよ、この前だって父ちゃん言ってたじゃないか この芝居ができるのはあと少しだなって。 母は息子に目をやり 「この子ったらいつの間に一人前のこと言うようになっちまった。 お前が小さくて可愛かったから客が銭をはずんでくれたじゃないか」 息子が二人を庇うように両手を広げ、肩に手を回し掴んだ。 「もう芸人をやめよう、ボクも働くよ。父ちゃんは昔みたいに床屋でもやればさあ、 母ちゃんは昔は歌を歌ってたんだろ、ダンスだって見事なもんさ、父ちゃんが惚れたのも 無理はないさ。あの頃みたいに笑って暮らそうよ」 街一番の大きな教会の鐘が鳴る。 「そろそろ帰ろう」と声が聞こえたようだ。 誰もなにも言わないのに三人は顔を見合わせ帰って行く。 ビルの間に佇み、だんだんと身体が薄く透き通って、見...

憎からず思う

  憎からず思う  (好感を持っている)  この単語は例えば、「嫌いじゃない」とか「不味くはない」みたいに悪い言葉を否定して 褒めている言葉のひとつだと思う。でも他の単語より暖かみがあって、 文学的な印象が感じられるのは、憎からず思うという感情は人と人同士の付き合いの 永さが読み取れるからだと思います。

そこはかとなく

  そこはかとなく (なんとなく) この言葉は時々会話でも使います。 「ん!なんだ!そこはかとなく、この臭いオナラか?」みたいにだけどこの言葉だけを抜き出して読むと、そこはかとなく緩い感じがして好きです。美しい大和言葉だと思います。

首ったけ

  首ったけ (夢中になる)  美しい大和言葉の「首ったけ」この言葉も会話の中で出てくることはありませんね。 「首ったけ」この言葉を口に出して呟いてみる。男女の間での感情ですね。  言葉にしてその時に感じたイメージを掌編小説にしてみました。 と、ここまで書いた時点でまだ何も頭に浮かんでいません。数分考えて作成に取りかかります。

おもはゆい

 前回に続き、掌編小説を投稿します。 「おもはゆい」と言う言葉は聞くことも話すこともありませんが、 私みたいに文章を書くことが趣味の人は、ときどき文字で書くことがあります。 おもはゆい  はずかしい  記録的に台風の発生が少ない今年は、晴れの日が多くて嬉しいと思っていた。 「7月も終わり8月は本格的な夏に入ったと思う」なんか変な言い方だと思うでしょ 暦の上では7月はもう夏の後半で8月に入ってしまうとすぐに立春が来て秋になっちゃうし。最近では暑中見舞いと残暑見舞いの違いがわかってきているので暦の通りの生活するって肌で感じる季節感と微妙にズレている感じがする。  高校生の時の先生が言ってたけど、先生も私たち生徒となにも変わらないんだと思った。 夏休みの登校日に、弾けたように笑いながら 「7月が終わっちゃったね、でも8月はあと一ヶ月もある、夏休みはまだ始まったばかりだよね」って先生が言っているのを聞いて笑ってしまった。「私が学生時代のときってさ、夏休みの宿題は7月中には手もつけなかったよ。夏休み入って直ぐに海に行ってたし」ですって。登校日に私たちに会えて嬉しかったみたいでリップサービスだったのかな。  先生がそんなこと言っちゃ困るでしょ。その女性の先生はまだ先生になったばかりで20代の若い先生でした。  そして今年の夏は晴れの日が多くて喜んでいたら猛暑日の連続で毎日暑くて参ってしまう。8月に入ってから、やることも余りなかったので静岡まで買い物に行くことにした。  いつも学校へ行くときに乗る駅から電車に乗ったら夏休みだと言うのに、いつもの見知った顔の人たちが乗っていたのでビックリした。そうかこの人達は社会人だから夏休みはお盆のときだけなんだ。そういえばお父さんも会社のお休みのことを夏休みと言わずお盆休みって言ってたのを思い出した。電車は学生が乗っていない分だけ空いていた。  座席に座ったら隣の人に「久しぶりですね」なんて声を掛けられてしまった。そうか10日も会わなかったらお久しぶりなんだ。これって大人の感覚?でも隣に座っている人って私は全然知らない人。ただ顔だけは知っていたよ。毎日同じ電車の同じ車両に乗る人って決まっているから。 「今日はお仕事ですか」なんて聞いてくる。私はまだ大学生ですと答えた。その人は私の答えが想定外だったのかちょっと焦っていたようだった「え、君...

掌編小説シリーズが始まりました。 あばたもえくぼ

三笠書房 知的生き方文庫 ”美しい「大和言葉」の言いまわし” この本を参考にして、本から言葉を拾った言葉から連想する物語を書いてみました。 書いたのは数年前だけど、パソコンの中に眠っていた駄作をネットに上げて新鮮な空気を吸わせてあげたいと思います。このような文章は沢山あるので随時アップしていきたいと思います。過去の文章を読み直すと半分くらいは書き直している状況です。   あばたもえくぼ (恋は盲目) 私たちっていつまでこんななのかなぁ。  彼氏のいない歴と年齢が同じって恥ずかしすぎるでしょ。ミソノの口が始まった。 「ユキちゃんは男の子に人気があるからいつでも彼氏は出来ると思うわ。  でも私なんか顔が可愛いだけでなんの取り柄もないし。少しばかり  肌が白くてウエストがくびれていることがどうだって言うのよっ!彼氏が欲しい」 「あんたねぇ、そんなことばかり言ってるから彼氏が出来ないんでしょ」 これが私と高校の時からの友人のミソノとの会話。いつもこんなじゃ無いけど ミソノはなんか切れていたみたいだ。  大学に入ったばかりの頃 「あたしたち、もう高校生じゃないし真剣に男の子とお付き合いしても親から怒られることも無いわよね」と少々気持ちが荒れていたこともあった。 あれから1年後?本当はもう少し早かったかもしれないけど、 ミソノに彼氏と呼べる人が出来たみたい。  ミソノに彼氏が出来たんじゃないかなって頃を思い出してみると、そういえばミソノって少し優しくなってきたかも。表情も穏やかになったような気がする。  ミソノに彼氏ができて一ヶ月が過ぎた頃に 「ねえねえ、ユキちゃんってまだだよね」 「なにがぁ」 「いやだぁ彼氏だよ、もう出来たのかなって」 「そんなこと聞いてどうすんの」 なんだかミソノの会話につきあうのが疲れてきちゃう。 「ユキちゃんには教えてあげる。私の彼ってねぇ・・・・・・」と 自分から言いたくてしょうがないみたい。 でも私は気がつかないふりをしていた。だって悔しいじゃん。 あのねぇ私はね彼氏が出来ないんじゃなくて作らないの、将来の目標があるからね、 つまらない男につきまとわれて自分の夢を台無しにしたくないの。  ミソノは私が高校生時代に家族から恋愛に対して監視されていたと思っているみたい。 「親が怖いの」 「どこの親も一緒だよ娘を心配するのはしょうが無い...

年金貰えて嬉しい。芭蕉気取り、いや山頭火気取り!

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 64歳になった。4月に初めての年金をもらった。厚生年金の分だけだから本来貰える年金の半分くらいだ。それでもこの年で収入も少なくなっているのでとてもありがたい。なんだか貧乏くさい話になってしもいそうだが、全くの逆なのだ。  今まで乗っていたクルマはホンダのライフで既に14万キロを超えているので買い換えるために出かけた。前職はホンダのディーラーに勤めていた。懐かしい気持ちで前に勤めていたホンダへ中古車を買いに行ったのだ。選んだクルマは日産のクリッパーだ。走行距離は9万キロを超えているが、元自動車整備士だから解る「まだ乗れる」の感を信じて購入したのだ。  助手席側ドアがかなりへこんでいるけど気にすることは無い。室内は綺麗。四輪駆動で、なんでも前オーナーは弁当屋さんが配送で使っていたそうだ。良い買い物をしたと思っている。中古車を買っただけで気持ちがワクワクしてきた。来年になって年金を満額貰えるようになったら、今の仕事もすっぱりと辞めて近隣へドライブ旅行を楽しみたいと思っている。軽バンなので車中泊も可能だ。パソコンと大量の本(源氏物語やその関連本や平安文学など)を持ち、読書三昧の旅行をしよう。万年筆とノートがあれば美しい景色を文字に置き換えて表現する。  現在は短編小説やショートショートを書いては投稿しまくっている。文章を書く欲求が止まらない。パソコンを持ち歩くのは在宅ワークのためだ。在宅と言ってもパソコンで完結する仕事ならどこへ行こうと関係ない。月に数万円の売り上げれば自宅に留まっている理由はない。ドライブの途中、日帰り温泉に入ったりクルマで走り続けて疲れたら川の土手にクルマを止めて休めば良い。コンビニで買った飯を食ったり、まったくの自由気ままな環境に身を置くことが今から待ち遠しく思っている。・・・のだが。  これって世間から見たらホームレスじゃないか。住む家がなくクルマに寝泊まりしている「孤独なお年寄りみたいだよねえ」・・・か!いままで生きてきて、これからの人生を考えたときやりたい事ってホームレスになることなのか?お金が無く、ホームレスと同じ生活をすることは、とても不幸なことだ。だけどお金に困っていないで同じ生活なら、この上ない幸せってどういうことだ。やっぱり幸せと不幸の違いってお金を持っているかどうかなのか。しばらく考えた。たぶん俺のことだから「お金が無いホームレス」...

介護ブログから最初のページのコピー

自身のブログのコピーです。 タイトルは「介護大好き」 30代女性目線の内容になっています。 介護さん茜の 介護大好き - 楽天ブログ (rakuten.co.jp) ようやく決心しました。 今の会社、もう居る意味がなくなったから絶対に辞めてやる。 「まだ辞めてなかったのかよぉ」って友人からツッコまれそうだね。 いつも愚痴ばかり言ってるし  あたしの仕事は高齢者介護。 でもこの仕事が嫌いなわけじゃないよ 汚いし、腰が痛くなるし婚期も逃しちゃったけど 毎日の仕事はそれなりに充実していたと言ってもいい。 だ~け~どぉ~ 大好きな先輩が辞めちゃったから・・・ あたしより数ヶ月っていうか一ヶ月だけ先輩 年齢は六十三歳のパートさんで、あたしのお父さんよりも年上だけど チョーが付くほどいい人だったのね 静かでいつもにこにこ笑っていて、利用者さんからも好かれていて 特にお婆ちゃんからは絶大な人気者だった、お調子者のお婆ちゃんから プロポーズされてたこともあったなあ。 だけど職員からのウケはそれほどでもなかった。 もしかしたら嫉妬されてたのかも知れない。 先輩の宮澤さんは独身なんだけど「俺って世界で一番の幸せ者なんだ」 だから、この年で奥さん居なくても、パートで給料が安くても頭がハゲてても 「俺って幸せなんだ」が、口癖だった。 あ~涙が出てきた。 会社辞める記念にブログ開設(ずっと前に開設してたけど) 本気で書きます。 自己紹介などは本文の中でゆっくり公開していきます。 それとブログの内容は現在の出来事ではなく 介護をしていて気がついたことなどを書きます。 宮澤さんは約一週間の有休消化後の昨日づけで退職されましたので あたしも今日はふてくされて有給で休んでしまったけど、いいよね!あはは

嫉妬(公募ガイド、小説でもどうぞ)(投稿用)

  嫉妬                                               言いがかりにもほどがある。イヤそれ以上だ。  俺はある女から誹謗中傷を受けていた。 それでも俺は気に入った女と楽しい毎日を過ごしていたのだが、 俺に言いがかりを言う女には、うんざりを通り越しムカついてきた。  今こそ反論をしてやろうと思うんだ。あの女のせいで俺の評判は地に落ちた。 世間からは笑いながら、調子に乗ってるなよ、と後ろ指をさされているのだ。 付き合っている彼女からは嫉妬こそあれ、俺に不満を言うやつなんか一人もいないんだ。 それどころか「次に会ったときにはもっと楽しいことしましょうね」 と向こうから俺に会いたがる彼女の方が多かった。 だけどあの女の言い草はこうだ  「あなたって女たらしですわね、世間的には不倫だし、貴方のご友人とも張り合う ようにして女を次から次へと替えて、でもそれならまだましだわ。 同時期に何人も股に掛けて、恥ずかしいことですわ、言い訳は出来ないわよね。女癖が 悪いとも言いふらしますからね」 このように最近では俺に対し面と向かって言ってくる始末だ。  俺の返事は決まって, 「女癖が悪いって言うけど、そうじゃない。好きになった女性に優しくしたり、 気持ちが乗ればそれなりの事をしたくなるのは当たり前だろ、たまたま付き合って いるときが重なっているだけだ」  こうやって反論しても女は 「言い訳はよしてよ、あなたのせいで泣いている女は数知れないのではないですか」 「それは嫉妬によるものだ、俺が原因じゃ無い。女同士で解決して欲しい」 その女はトゲのある言い方で俺を責めた。 確かにその女の言い分はわかる。  俺はお金持ちの家に生まれた。俺自身の金では無いが、人が羨む暮らしだ。 だからといって自由気ままに暮らしてはいない。 何しろ親の勝手で政略結婚をさせられたのだから。 結婚が出来る年齢に到達してすぐだから十代で所帯持ちというわけだ。 結婚したからと言って俺の青春は満ち足りてなどいない。もっと自由に恋愛もしたかった。 そ...

ショートショート、四桁数字の女(坊ちゃん文学賞投稿用)(原稿用紙10枚)

投稿用 ショートショート タイトルは「四桁数字の女」 ここに出てくる女性の特徴は、コレを書いた私のことです。 4桁の数字をみて、自動車のナンバープレートを連想します。 すると頭の中に画像が浮かびます。しばらくするとその画像が動き出して 勝手に物語りが始まるのです。   職場の先輩が運転するクルマの助手席に雅子は座っていた。 仕事の話をしながらと言いたいところだが、40代の男性社員の吉永は、仕事には熱心では無いようだった。それでも吉永は職場をまとめる課長なのだ。吉永は隙あらば若い事務雅子と二人きりなれないかと考えていた。 「ねえ、雅子ちゃんって彼氏いないんだって」 吉永さんはニヤニヤ笑いながらセクハラに近いことを私に聞いてきた。 「その質問はセクハラですよ、若い女子にそんなこと言っちゃダメですよ」って半分笑いながら応えた。  雅子は話をそらすように前から来る対向車のナンバーを見て思わず大声で笑った。吉永さんは、わたしのバカ笑いを不思議に思って 「なにがそんなに可笑しいの、知っている人でも乗っていたのかい」 仕事中だしこれから大事な商談に行くクルマの中で笑い出したわたしに少し不愉快そうにそう訪ねた。 「だって課長、さっきのクルマって可笑しくないですか」 「なにがそんなに可笑しいのか解らない、なにが?」 「さっきのクルマのナンバーって、川上から流れてきた桃を割ったら中から小さな熊が出てくるんですよ」 運転していた吉永は雅子の方に顔を向けた。 「あのクルマは、3173だって可笑しいね」 「ナンバーを見て可笑しいねって、なにがそんなに可笑しいんだよ」 吉永はわたしが一人で面白がっていることに苛ついているようだった。 「3173って数字はフォークリフトで持ち上げた雪だるまがフォークの間から落っこちるところだよ」 運転中なので雅子の顔をじっくり見るわけにもいかず吉永は突然の雅子の発言にどう対応したらいいのか解らなかった。雅子は25歳で恋人がいるような噂はまったく聞こえてこない。  吉永は「へえ雅子ちゃんにはそんな風に見えるんだ、凄いじゃん、っていうかあり得ないし」 吉永は子供を相手にするように凄いねといいながら全く凄いなんてことは思っていなかった。 「吉永さんには見えないんですか」 雅子にとっては子供の頃からあった能力だった、普通のことだと思っていた。誰もが数字を見ると頭...

介護作文:テーマ「介護と幸せ」(投稿用)

介護作文の募集があったので書きました。   小さなくしゃみと笑顔  介護の仕事を始めて3年が過ぎた。様々な介護を一通り経験したと思っているけど、まだまだ未熟だ。私の年齢は62歳。この仕事を選んだきっかけは家族が要介護になってしまった時のことを考えて、介護を勉強すること。そして母親への介護は一年近く続けた。介護度5の母親へのお世話は、自分を含め家族が一丸となって行って来たが、今年の一月に母の最期を看取り気が抜けてしまった。  それでも私の経験を必要としてくれる人が近くにいた。兄嫁の母親が要介護の状態になり、病院から退院して自宅に帰ってきたけど突然のことでとても困っている、と聞いて翌日には兄にの所へ駆けつけた。寝たきりのお婆ちゃんはお話も殆ど出来ない。おなかが空いているのかトイレへ行きたいのかも解らない状態だという。お婆ちゃんと最初に顔を合わせたときに私は、顔を半分隠しているマスクをずらし、笑顔を見せた。そしてマスクを付け直して「あなたの娘さんのぉ旦那さんのぉ弟です」と耳元で伝えた。小さく頷いたように見えた。どうやらお話は出来なくても耳は聞こえているようだよ、と義姉に伝えた。心配なのはお婆ちゃんよりも、お爺さんの方だと義姉は気にかけているようだった。  夕飯にお粥を用意して貰って私が少しずつ食べさせてみたら、思いの外パクパクと食べていた。義姉は「おなかが空いていたのかな」と涙ながらに言った。お婆ちゃんはどうしたことかクシュンと小さなくしゃみをした。そして自分でもビックリしたのか瞑ったきりの目を大きく開いて見せた。口元を手で覆い上目遣いで前を見て恥ずかしそうに笑顔を見せた。突然のことで私たちもビックリしてしまった。前に座ってお婆ちゃんの食事の様子を見ていたお爺ちゃんが「婆さんのくしゃみって可愛いだろ、まだ嫁に来る前の若かった頃の面影が残っているみたいだ」お爺ちゃんのこの一言で皆が爆笑し、その場が一気に和んで、皆の顔に笑顔が浮かんだ。  「介護の大変な部分があることは解っているけど、今みたいにけっこう楽しい事もあるんだよ」と話した。私は「とりあえず介護施設へ入所の手続きを急いでやるように」と勧めた。介護の分担って家族内でのこともそうだけど、介護施設と家族で分担することなんだ。と伝えて自宅へ帰ってきた。  「介護の知識があれば介護って大変なこともあるけど、それ以外はぜんぶ楽し...

母へのしあわせ介護(施設内新聞、投稿)

介護施設で働いています。毎月、持ち回りで作文を書くことになっていました。  母へのしあわせ介護 自分が大人になり、両親もゆっくりと歳をとっていく。 昨日と今日でなにも変わらない両親の姿がある。年が明け、一年が過ぎ、さらに一年ずつ過ぎていく。 両親はいつの間にか歳を取り、周りの人から「お爺ちゃん」「お婆ちゃん」と呼ばれるようになった。 そして、忘れていた両親の介護が目の前に迫ってきていることを知るのだ。 去年、93歳の母が脳出血で寝たきりになった。 私は62歳。3年前から自宅に近い介護施設で働いている。本職は自動車整備士なので、若い頃の経験が活かされない職場だったが、介護の仕事を通じて風呂の介助やオムツ交換、食事の介助、車椅子の乗せ方など一通り経験していた。 そのため、寝たきりの母が介護を必要とする体になっても、ほとんどストレスを感じることなく世話をすることができた。 私の介助で母をリクライニングの車椅子に座らせ、リビングで家族と一緒に食事ができたことが嬉しかった。 心配なのは母のことよりも、むしろ父の方だった。普段から夫婦で会話などあまりしない方だったけど、寂しさからなのか、それとも今まで会話をしてこなかったことへの罪滅ぼしなのか、母の傍らに寄り添い、いつまでも話をするようになった。 本当は疲れているから「そろそろベッドに寝かせた方がいいんだけどな」と思っても、父の話は止まらない。 私のストレスは母の介護よりも、父の方に感じていた。 母への食事の食べさせ方にも、あれこれと口を挟むようになった。こういう時は本当にどうしたらいいのかわからない。 あるとき、私に隠れて母に無理やりご飯を食べさせようとする父を見て、とっさに大声で叱ってしまった。 食事、オムツ交換、衣服の着せ替えなど、やることはたくさんある。しかし、高齢の父に任せるわけにはいかない。 本当はもっと母の面倒をみたいのだろうと思った。 諸々の手続き後、母はデイサービスに通うようになり、私の負担も少し楽になったが、母は肺炎を発症して入院。今年の一月に天命を全うした。 思い返せば、父にもっと母の介護を手伝わせてあげればよかったと後悔した。 私にも色々と思うところはある。正しい介護なんてものはなく、どこの家でも同じように年寄りがいて、要介護になり、そして最後の日を迎えるのだ。 ...

小さな助け合い(投稿用)

社内用の作文です。 小さな助け合いがテーマでした。  介護の仕事をしているから、私の身の回りには助け合がいっぱいある。 老人ホームの利用者さんには、それこそ車椅子を押したり、 昼食を運んだり、お風呂に入れてあげて身体を洗うお手伝いだってやる。 それにトイレでは排泄の手伝い、まさに助け合いの毎日なのだ。  だが、助けてばかりではダメで 「そんなことまでお手伝いしたら利用者さんが自分で出来なくなっちゃうでしょ」と 先輩の介護職員に怒られてばかりいる。  私は55歳からこの仕事をしている。 なので始めた頃は、みんな私よりも10歳も20歳も若い子ばかりだった。  いつも怒られてばかりいる素人の私に味方はいなかった。 職員にばかり目を向けているとそうなんだけど、利用者さんには私に対して 好意的な気持ちで接してくれていた。 「おじちゃんねぇ、トイレに行きたいから車椅子おしてね」 私のことをおじちゃんって呼ぶのは親愛の表れと思えてうれしかった。 本当は自分で車椅子を押すことができるお婆ちゃんなのに 「今日は腰が痛くてね無理なの」って他の職員さんにも聞こえるように言う。またお風呂の着替えのときも「シャツの背中の方が丸まって着れないのよ手伝って」 そうやって私にお願いしてくる。  私はそのお婆ちゃんに聞いた。 「本当は自分で出来るんだけど、俺がいつも怒られてるから俺が怒られないように 他の職員にも聞こえるように言ってるんでしょ」 「そんなの当たり前じゃない、ここの人はいい人ばかりだけど、まだ若いから人の気持ちがわからないんだね」 そう話してくれた。 「あんたは真面目でいい人過ぎるんだよ、それにあんたの家族だって 私と年齢が近いから自分の親を見るみたいにやさしくしてくれているんだよね」  なんだか私の心の中を見透かされているようだった。 利用者さんが出来ることは自分でやってもらう。それは基本でマニュアルにもそう書いてある。 「あんたとは良く目が合う。いつも利用者を気に掛けてくれているってことなんだね、大事なことだよ」  そのお婆ちゃんはもうすぐ80歳の年齢で、色んな意味でまだ元気だった。 いつも怒られている私に、そのままで良いんだよって気を遣ってくれているのが嬉しかった。 若い子はダメだね、忙しがってばかりで。 もっとも大切なのは毎日楽しく仕事をすることなんだけ解ってないね。  それか...