小さな助け合い(投稿用)

社内用の作文です。

小さな助け合いがテーマでした。


 介護の仕事をしているから、私の身の回りには助け合がいっぱいある。
老人ホームの利用者さんには、それこそ車椅子を押したり、
昼食を運んだり、お風呂に入れてあげて身体を洗うお手伝いだってやる。
それにトイレでは排泄の手伝い、まさに助け合いの毎日なのだ。
 だが、助けてばかりではダメで
「そんなことまでお手伝いしたら利用者さんが自分で出来なくなっちゃうでしょ」と
先輩の介護職員に怒られてばかりいる。
 私は55歳からこの仕事をしている。
なので始めた頃は、みんな私よりも10歳も20歳も若い子ばかりだった。
 いつも怒られてばかりいる素人の私に味方はいなかった。
職員にばかり目を向けているとそうなんだけど、利用者さんには私に対して
好意的な気持ちで接してくれていた。
「おじちゃんねぇ、トイレに行きたいから車椅子おしてね」
私のことをおじちゃんって呼ぶのは親愛の表れと思えてうれしかった。
本当は自分で車椅子を押すことができるお婆ちゃんなのに
「今日は腰が痛くてね無理なの」って他の職員さんにも聞こえるように言う。またお風呂の着替えのときも「シャツの背中の方が丸まって着れないのよ手伝って」
そうやって私にお願いしてくる。
 私はそのお婆ちゃんに聞いた。
「本当は自分で出来るんだけど、俺がいつも怒られてるから俺が怒られないように
他の職員にも聞こえるように言ってるんでしょ」
「そんなの当たり前じゃない、ここの人はいい人ばかりだけど、まだ若いから人の気持ちがわからないんだね」
そう話してくれた。
「あんたは真面目でいい人過ぎるんだよ、それにあんたの家族だって
私と年齢が近いから自分の親を見るみたいにやさしくしてくれているんだよね」
 なんだか私の心の中を見透かされているようだった。
利用者さんが出来ることは自分でやってもらう。それは基本でマニュアルにもそう書いてある。
「あんたとは良く目が合う。いつも利用者を気に掛けてくれているってことなんだね、大事なことだよ」
 そのお婆ちゃんはもうすぐ80歳の年齢で、色んな意味でまだ元気だった。
いつも怒られている私に、そのままで良いんだよって気を遣ってくれているのが嬉しかった。
若い子はダメだね、忙しがってばかりで。
もっとも大切なのは毎日楽しく仕事をすることなんだけ解ってないね。
 それからも私に気を遣ってくれて、話をするようになった。
お婆ちゃんは60代の頃まで介護をやっていたそうだ。
「まだ働けると思っていたけど若い職員が入ってきてね、なんだか疲れちゃったの」
おじちゃんは負けないで頑張ってねって励まされている。
”あんた”と”おじちゃん”を使い分けてくれるところも嬉しかった。
なにげに助け合うって、こんな身近なやりとりの中にあるのだと気づいた。


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