憎からず思う

 憎からず思う (好感を持っている)

 この単語は例えば、「嫌いじゃない」とか「不味くはない」みたいに悪い言葉を否定して
褒めている言葉のひとつだと思う。でも他の単語より暖かみがあって、
文学的な印象が感じられるのは、憎からず思うという感情は人と人同士の付き合いの
永さが読み取れるからだと思います。

「おばちゃん、この300円のお好み焼きってなんぼや」
「そんなもん300円にきまっとるやないか」
「そりゃ立て前ではそうや、でもあたしとおばちゃんの間柄やで他の人とはちゃうんや、
 そやから聞いとるんやで、100円でええかぁ」
お好み焼き屋の前で、小さいけど愛らしく利発そうな女の子が騒いでいた。

 この商店街では知らない者はいないチビ子。身体がが小さいからチビ子と呼ばれている。
「このガキどこの子や」ひどい言われ方をするのもみんなから愛されている証拠だ。
お好み焼き屋さんの名前は大阪屋という。
お好み焼き屋の女将もそんなチビ子が毎日のようにやってきてくれるのが嬉しかった。

 商店街を抜けて最初のアパートに住んでいるチビ子達一家。
父親の転勤で会社で借り上げているアパートに住んでいた。
大阪屋は商店街の入り口付近にある一番近いお店だ。
だからチビ子はこの町に越してきた最初の日から大坂屋がお気に入りになった。
店先からソースの焦げた匂いに吸い寄せられるようにチビ子は店の前に立っていた。
その姿を目にとめた胃お店の女将さんが
「良い匂いやろ、ちょっと中に入ってみい」
そんなチビ子と女将が仲良くなるには時間はかからなかった。
店主のおばちゃんはチビ子のお婆ちゃんくらいの歳だ。でもお婆ちゃんに比べると元気が
良く笑い方も手を叩きながら大げさに笑う大阪のお婆ちゃんって感じがした。

 本当に嫌いな子は誰も相手にしない。
チビ子は体は小さいが態度はデカい口も悪くて手が付けられない。髪の毛は後ろできっちり
縛っていて、いつも上目遣いで大人を見上げる。
 ある日、商店街のお好み焼き屋の隣にある駄菓子屋の店番の男性が怒鳴った。
チビ子の生意気な口の利き方に我慢が出来なかったのだろう。
「おっちゃんハゲなのに、なんでタバコ吸いながら店番やってるの、なんで」
小さいけど大人を苛つかせる言葉を知ってる。
「なんや!おまえアホか母ちゃん連れてこいや、わしが説教したるわ」
「店番をサボってるおっちゃんが悪いやろ」
「ほんまにお前は、なんちゅうガキや」

ある日、チビ子はほんとに母ちゃんを連れてきよった。

「うちの子がいつもご迷惑かけて申し訳ございません」
上品なお母さんの話しぶりに苛つきながらも
わざと目を大きく開け、びっくりしたような表情で
「なんや申し訳ございませんって、チビ子おまえは東京のもんやったんか」
「そや、あたいは東京もんや、どうやあたいの母ちゃんべっぴんさんやろ」
小学校に入る頃に越してきてもう3年や、もう一人前の関西人やで。
「アホか、ほんまもんの関西人が自分で関西人って言うわけないやろ」
「じゃあなんて言うんや」
おっちゃんは気取りながら胸に手を当てて、しなりしなりと言葉を発した。

 こうや
「私は大阪のご婦人でございます、どうぞよろしゅうに」
「なにいうてんねん、となりのお好み焼き屋のおばちゃんはそんなこと言わへんよ、
ほなそこのアイスもらっていくで」
チビ子の後ろ姿を見送るおばちゃんとおっちゃん
「ほんまキャンキャン騒ぐ子犬みたいな子やな」
おっちゃんがそういった後におばちゃんも
「ほんとうにあの子ったら」
チビ子の母親は決まり悪そうに、そう言いながら店番のおっちゃんにアイスクリームの
お金を払いながら話を続けた。
 あの子はねいつもは関西弁を話すことはないんです。
この商店街に買い物に来るときだけあんな風に話をするんです。
うちに帰って来ると
「あの大坂屋のおばちゃんがあたしの大阪弁の先生よ、なんかテレビの
人みたいで、話をすると面白いんだ」
そんなことを話してくれたんです。大坂屋のおばちゃんは
「なんやあ、でも東京もんにしては喋りが上手いで大阪で暮らしていくには
あれくらいじゃないとやっていかれへんわ」
 チビ子のお母さんは丁寧に挨拶をして商店街を後にした。
その年の8月最後の日曜日にチビ子たち一家がそろって商店街に買い物に来た。
大坂屋が近くなるとチビ子はお父さんとつないでいた手を振りほどいて走って大坂屋へ向かった
「おばちゃ~ん、おるんかあ」チビ子が来たでえと大声で叫んだ
「なんやこの子は大声出さんでも聞こえてるわ」
「なあおばちゃん今日はお父ちゃんも一緒や」
チビ子はお父さんに手を振りながら早く早くこっちこっちとお父さんを呼んでいた。
チビ子一家が勢揃いしている。夏の終わりの夕方、西日が差してまだ暑い、
蒸せるように暑い商店街は暑いからといって打ち水をしてもさして涼しくも無く
埃っぽくぬるい風が吹いていた。
西に傾いた陽を浴びてチビ子たちの顔は赤くテカっていた。
地面に濃く落とした影はひとつの塊になっているチビ子はお父さんとお母さんの間に立っていた。
「なあおばちゃんあたしらみんなで東京へ行くんやで」
「そりゃ良かったじゃない、ディズニーランドでも行くんか」
「そやないよ、あたしらずっと東京へ行くん」
そう言ったとたんにチビ子は泣き出した
「なに泣いとるん」チビ子はお母さんの後ろに隠れてそのまま黙ってしまった。
お父さんはその様子を見て
「この商店街の人には本当にお世話になりました。東京へ引っ越しますのでこれを」
お父さんは袋からお菓子の箱を出しておばちゃんに渡した。
「チビ子がいなくなると・・・・・・寂しなるな」おばちゃんは目頭を押さえていた。
「じゃあね、おばちゃんまた来るね」
「そうかい、今度来たらお好み焼きを100円のしたるからな」
チビ子達はその場から離れる。
両親の後ろをとぼとぼ歩いていたチビ子は突然駆け足になって浮かれたように
「明日から東京やで、嬉しいなあ」と笑っていた。

出だしのところから結末が予想できるような内容になってしまいました。
でもね、私たち大人はそう感じるけれど。
これから様々な経験をしていく若い人達には丁度よいストーリーの流れだと思います。

最後のところ、チビ子は成長していくんですね。
悲しみも寂しさも成長するために必要な経験なんですね。
そして笑顔で、何度目かのスタートです。


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