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4月, 2024の投稿を表示しています

介護ブログから最初のページのコピー

自身のブログのコピーです。 タイトルは「介護大好き」 30代女性目線の内容になっています。 介護さん茜の 介護大好き - 楽天ブログ (rakuten.co.jp) ようやく決心しました。 今の会社、もう居る意味がなくなったから絶対に辞めてやる。 「まだ辞めてなかったのかよぉ」って友人からツッコまれそうだね。 いつも愚痴ばかり言ってるし  あたしの仕事は高齢者介護。 でもこの仕事が嫌いなわけじゃないよ 汚いし、腰が痛くなるし婚期も逃しちゃったけど 毎日の仕事はそれなりに充実していたと言ってもいい。 だ~け~どぉ~ 大好きな先輩が辞めちゃったから・・・ あたしより数ヶ月っていうか一ヶ月だけ先輩 年齢は六十三歳のパートさんで、あたしのお父さんよりも年上だけど チョーが付くほどいい人だったのね 静かでいつもにこにこ笑っていて、利用者さんからも好かれていて 特にお婆ちゃんからは絶大な人気者だった、お調子者のお婆ちゃんから プロポーズされてたこともあったなあ。 だけど職員からのウケはそれほどでもなかった。 もしかしたら嫉妬されてたのかも知れない。 先輩の宮澤さんは独身なんだけど「俺って世界で一番の幸せ者なんだ」 だから、この年で奥さん居なくても、パートで給料が安くても頭がハゲてても 「俺って幸せなんだ」が、口癖だった。 あ~涙が出てきた。 会社辞める記念にブログ開設(ずっと前に開設してたけど) 本気で書きます。 自己紹介などは本文の中でゆっくり公開していきます。 それとブログの内容は現在の出来事ではなく 介護をしていて気がついたことなどを書きます。 宮澤さんは約一週間の有休消化後の昨日づけで退職されましたので あたしも今日はふてくされて有給で休んでしまったけど、いいよね!あはは

嫉妬(公募ガイド、小説でもどうぞ)(投稿用)

  嫉妬                                               言いがかりにもほどがある。イヤそれ以上だ。  俺はある女から誹謗中傷を受けていた。 それでも俺は気に入った女と楽しい毎日を過ごしていたのだが、 俺に言いがかりを言う女には、うんざりを通り越しムカついてきた。  今こそ反論をしてやろうと思うんだ。あの女のせいで俺の評判は地に落ちた。 世間からは笑いながら、調子に乗ってるなよ、と後ろ指をさされているのだ。 付き合っている彼女からは嫉妬こそあれ、俺に不満を言うやつなんか一人もいないんだ。 それどころか「次に会ったときにはもっと楽しいことしましょうね」 と向こうから俺に会いたがる彼女の方が多かった。 だけどあの女の言い草はこうだ  「あなたって女たらしですわね、世間的には不倫だし、貴方のご友人とも張り合う ようにして女を次から次へと替えて、でもそれならまだましだわ。 同時期に何人も股に掛けて、恥ずかしいことですわ、言い訳は出来ないわよね。女癖が 悪いとも言いふらしますからね」 このように最近では俺に対し面と向かって言ってくる始末だ。  俺の返事は決まって, 「女癖が悪いって言うけど、そうじゃない。好きになった女性に優しくしたり、 気持ちが乗ればそれなりの事をしたくなるのは当たり前だろ、たまたま付き合って いるときが重なっているだけだ」  こうやって反論しても女は 「言い訳はよしてよ、あなたのせいで泣いている女は数知れないのではないですか」 「それは嫉妬によるものだ、俺が原因じゃ無い。女同士で解決して欲しい」 その女はトゲのある言い方で俺を責めた。 確かにその女の言い分はわかる。  俺はお金持ちの家に生まれた。俺自身の金では無いが、人が羨む暮らしだ。 だからといって自由気ままに暮らしてはいない。 何しろ親の勝手で政略結婚をさせられたのだから。 結婚が出来る年齢に到達してすぐだから十代で所帯持ちというわけだ。 結婚したからと言って俺の青春は満ち足りてなどいない。もっと自由に恋愛もしたかった。 そ...

ショートショート、四桁数字の女(坊ちゃん文学賞投稿用)(原稿用紙10枚)

投稿用 ショートショート タイトルは「四桁数字の女」 ここに出てくる女性の特徴は、コレを書いた私のことです。 4桁の数字をみて、自動車のナンバープレートを連想します。 すると頭の中に画像が浮かびます。しばらくするとその画像が動き出して 勝手に物語りが始まるのです。   職場の先輩が運転するクルマの助手席に雅子は座っていた。 仕事の話をしながらと言いたいところだが、40代の男性社員の吉永は、仕事には熱心では無いようだった。それでも吉永は職場をまとめる課長なのだ。吉永は隙あらば若い事務雅子と二人きりなれないかと考えていた。 「ねえ、雅子ちゃんって彼氏いないんだって」 吉永さんはニヤニヤ笑いながらセクハラに近いことを私に聞いてきた。 「その質問はセクハラですよ、若い女子にそんなこと言っちゃダメですよ」って半分笑いながら応えた。  雅子は話をそらすように前から来る対向車のナンバーを見て思わず大声で笑った。吉永さんは、わたしのバカ笑いを不思議に思って 「なにがそんなに可笑しいの、知っている人でも乗っていたのかい」 仕事中だしこれから大事な商談に行くクルマの中で笑い出したわたしに少し不愉快そうにそう訪ねた。 「だって課長、さっきのクルマって可笑しくないですか」 「なにがそんなに可笑しいのか解らない、なにが?」 「さっきのクルマのナンバーって、川上から流れてきた桃を割ったら中から小さな熊が出てくるんですよ」 運転していた吉永は雅子の方に顔を向けた。 「あのクルマは、3173だって可笑しいね」 「ナンバーを見て可笑しいねって、なにがそんなに可笑しいんだよ」 吉永はわたしが一人で面白がっていることに苛ついているようだった。 「3173って数字はフォークリフトで持ち上げた雪だるまがフォークの間から落っこちるところだよ」 運転中なので雅子の顔をじっくり見るわけにもいかず吉永は突然の雅子の発言にどう対応したらいいのか解らなかった。雅子は25歳で恋人がいるような噂はまったく聞こえてこない。  吉永は「へえ雅子ちゃんにはそんな風に見えるんだ、凄いじゃん、っていうかあり得ないし」 吉永は子供を相手にするように凄いねといいながら全く凄いなんてことは思っていなかった。 「吉永さんには見えないんですか」 雅子にとっては子供の頃からあった能力だった、普通のことだと思っていた。誰もが数字を見ると頭...

介護作文:テーマ「介護と幸せ」(投稿用)

介護作文の募集があったので書きました。   小さなくしゃみと笑顔  介護の仕事を始めて3年が過ぎた。様々な介護を一通り経験したと思っているけど、まだまだ未熟だ。私の年齢は62歳。この仕事を選んだきっかけは家族が要介護になってしまった時のことを考えて、介護を勉強すること。そして母親への介護は一年近く続けた。介護度5の母親へのお世話は、自分を含め家族が一丸となって行って来たが、今年の一月に母の最期を看取り気が抜けてしまった。  それでも私の経験を必要としてくれる人が近くにいた。兄嫁の母親が要介護の状態になり、病院から退院して自宅に帰ってきたけど突然のことでとても困っている、と聞いて翌日には兄にの所へ駆けつけた。寝たきりのお婆ちゃんはお話も殆ど出来ない。おなかが空いているのかトイレへ行きたいのかも解らない状態だという。お婆ちゃんと最初に顔を合わせたときに私は、顔を半分隠しているマスクをずらし、笑顔を見せた。そしてマスクを付け直して「あなたの娘さんのぉ旦那さんのぉ弟です」と耳元で伝えた。小さく頷いたように見えた。どうやらお話は出来なくても耳は聞こえているようだよ、と義姉に伝えた。心配なのはお婆ちゃんよりも、お爺さんの方だと義姉は気にかけているようだった。  夕飯にお粥を用意して貰って私が少しずつ食べさせてみたら、思いの外パクパクと食べていた。義姉は「おなかが空いていたのかな」と涙ながらに言った。お婆ちゃんはどうしたことかクシュンと小さなくしゃみをした。そして自分でもビックリしたのか瞑ったきりの目を大きく開いて見せた。口元を手で覆い上目遣いで前を見て恥ずかしそうに笑顔を見せた。突然のことで私たちもビックリしてしまった。前に座ってお婆ちゃんの食事の様子を見ていたお爺ちゃんが「婆さんのくしゃみって可愛いだろ、まだ嫁に来る前の若かった頃の面影が残っているみたいだ」お爺ちゃんのこの一言で皆が爆笑し、その場が一気に和んで、皆の顔に笑顔が浮かんだ。  「介護の大変な部分があることは解っているけど、今みたいにけっこう楽しい事もあるんだよ」と話した。私は「とりあえず介護施設へ入所の手続きを急いでやるように」と勧めた。介護の分担って家族内でのこともそうだけど、介護施設と家族で分担することなんだ。と伝えて自宅へ帰ってきた。  「介護の知識があれば介護って大変なこともあるけど、それ以外はぜんぶ楽し...

母へのしあわせ介護(施設内新聞、投稿)

介護施設で働いています。毎月、持ち回りで作文を書くことになっていました。   母への幸せ介護  自分が大人になり両親もゆっくりと歳をとっていく。昨日と今日となにも変わらない両親の姿がある。年が明け一年が過ぎ、さらに一年ずつ過ぎていく。  両親はいつの間にか歳を取り周りの人から、お爺ちゃんお婆ちゃんと呼ばれるようになった。そして忘れていた両親の介護が目の前に迫ってきている事を知るのだ。  去年、93歳の母が脳出血で寝たきりになった。  私は62歳、3年前から自宅に近い介護施設で働いている。本職は自動車整備士なので若い頃の経験が活かされない職場だったが介護の仕事を通じて、お風呂の介助やオムツの交換や食事の介助、車椅子の乗せ方など一通り経験済みだったので、寝たきりの母が介護の必要な体になっても殆どストレスを感じる事も無く世話をすることが出来た。私の介助で母をリクライニングの車椅子に座らせリビングで家族と一緒に食事が出来たことが嬉しかった。  心配なのは母のことよりもむしろ父の方だった。普段から夫婦で会話など余りしない方だったけど寂しさからなのか、それとも今まで会話をしてこなかったことへの罪滅ぼしなのか母の傍らに寄り添い、いつまでも話をするようになった。本当は疲れているから「そろそろベッドに寝かせた方がいいんだけどな」って思っても父の話は止まらない。私のストレスは母の介護よりも父の方に感じていた。  母への食事の食べさせ方にもあれこれと口を挟むようになった。こういう時は本当にどうしたらいいのか解らない。あるとき、私に隠れて母にむりやりご飯を食べさせようとする父を咄嗟に大声で叱ってしまった。食事からオムツの交換や衣服の着せ替えなどやることは沢山ある。だけど高齢の父に任せることは出来ない。本当はもっと母の面倒をみたいのだろうって思った。  諸々の手続き後、母はデイサービスに通うようになり私の負担も少し楽になったが、母は肺炎を発症して入院。 今年の一月に天命を全うした。思い返せば父にもっと母の介護を手伝わせてあげれば良かったと後悔した。私にも色々と思うところはある。正しい介護なんていうものはなく何処の家でも同じように年寄りが居て要介護になり、そして最後の日を迎えるのだ。  その日は突然やってきた。母の容体が急変したと病院からの呼び出しで駆けつけたのは夜が明ける前だった。病...

小さな助け合い(投稿用)

社内用の作文です。 小さな助け合いがテーマでした。  介護の仕事をしているから、私の身の回りには助け合がいっぱいある。 老人ホームの利用者さんには、それこそ車椅子を押したり、 昼食を運んだり、お風呂に入れてあげて身体を洗うお手伝いだってやる。 それにトイレでは排泄の手伝い、まさに助け合いの毎日なのだ。  だが、助けてばかりではダメで 「そんなことまでお手伝いしたら利用者さんが自分で出来なくなっちゃうでしょ」と 先輩の介護職員に怒られてばかりいる。  私は55歳からこの仕事をしている。 なので始めた頃は、みんな私よりも10歳も20歳も若い子ばかりだった。  いつも怒られてばかりいる素人の私に味方はいなかった。 職員にばかり目を向けているとそうなんだけど、利用者さんには私に対して 好意的な気持ちで接してくれていた。 「おじちゃんねぇ、トイレに行きたいから車椅子おしてね」 私のことをおじちゃんって呼ぶのは親愛の表れと思えてうれしかった。 本当は自分で車椅子を押すことができるお婆ちゃんなのに 「今日は腰が痛くてね無理なの」って他の職員さんにも聞こえるように言う。またお風呂の着替えのときも「シャツの背中の方が丸まって着れないのよ手伝って」 そうやって私にお願いしてくる。  私はそのお婆ちゃんに聞いた。 「本当は自分で出来るんだけど、俺がいつも怒られてるから俺が怒られないように 他の職員にも聞こえるように言ってるんでしょ」 「そんなの当たり前じゃない、ここの人はいい人ばかりだけど、まだ若いから人の気持ちがわからないんだね」 そう話してくれた。 「あんたは真面目でいい人過ぎるんだよ、それにあんたの家族だって 私と年齢が近いから自分の親を見るみたいにやさしくしてくれているんだよね」  なんだか私の心の中を見透かされているようだった。 利用者さんが出来ることは自分でやってもらう。それは基本でマニュアルにもそう書いてある。 「あんたとは良く目が合う。いつも利用者を気に掛けてくれているってことなんだね、大事なことだよ」  そのお婆ちゃんはもうすぐ80歳の年齢で、色んな意味でまだ元気だった。 いつも怒られている私に、そのままで良いんだよって気を遣ってくれているのが嬉しかった。 若い子はダメだね、忙しがってばかりで。 もっとも大切なのは毎日楽しく仕事をすることなんだけ解ってないね。  それか...

手紙名文(投稿用)

感謝する手紙(投稿用です) 確か公募ガイドという雑誌を見ての投稿です。  終戦の日を境に夏は終わりへと向かう。 猛暑の名残と夕暮れを思わせる物悲しさ、 人の一生について考えるこの頃だ。  自分が生きてきた期間よりもずっと長い歴史に思いを巡す時期だ。 還暦を迎えたときは、今の自分自身の幸せに感謝した。 折り返しを過ぎた人生の後半は嘘をつかず、 すべてのことに感謝の気持ちを持っていたい。  おそらく真面目に生きてくれた前世の自分への感謝、 来世の自分の為に誠実な人生を全うしたい。